「悪いことをしたらバチが当たるよ!」
幼い頃にこのようなことを親から言われませんでしたか?
ゴミのポイ捨てや他人が不快に思う行動など…。物事には因果応報があって、自分の行いは自分に返ってくると言われています。
実際に「バチが当たったな…」と感じた経験がある人は多いはず。世の中はよくできていますよね。笑
さて、ここで少し疑問に感じたことがあります。なぜバチが当たるという現象が起こるのでしょうか?
先の因果応報に従えば、悪さをしたからです。しかし、誰がどのようにしてバチを与えているのでしょうか?
神様という考えが基本かと思います。ただ、私はもう少し論理的に考えられそうだなと感じてます。
今回は、どうしてバチが当たるのか?を人間心理から考察してみます。
重要なポイントは以下の2つです。
- 人は悪い出来事ほど印象に残る
- 自分の行動は正当化したい
順を追って説明していきます。
①人は悪い出来事ほど印象に残る
皆さんはマーフィーの法則をご存知でしょうか?
- バターをぬった面を下にして食パンが着地する確率は、カーペットの値段に比例する。
- 天気予報の雨の予報は、傘を忘れた日に限って的中する。
- 満員の時、自分の立っている前の席だけが空かない。
- バスは、いつもは予定時刻に来ないが、自分が予定時刻に遅れた時に限って、定刻にやって来る。
このような、ネガティブな出来事のあるあるを言います。
どれか1つくらいは経験したことがありませんか?
しかし、ここで考えてほしいことがあります。例の出来事と反対のことが起きた経験もありませんか?
- 高いカーペットでも、バターをぬった面を下にして食パンが着地しなかった。
- 傘を持っていこうと思った日に雨が降ってことなきを得た。
- 満員の時、自分の立っている前の席だけが空いた。
- 予定時刻よりも早く着いた時に、いつもより早くバスが来た。
このような、ポジティブな出来事も起きているはずです。
それなのに、なぜ人はネガティブなことしか覚えていないのか?
人間は、小さな良かった記憶はあまり覚えていません。しかし、損をした記憶は小さなことでも印象に残りやすいです。
これは、損失回避バイアスと呼ばれています。「100万円もらえる」よりも「100万円失う」の方が人間の心は動きやすいです。
このような理由から、マーフィーの法則を「あるある!」と感じてしまいます。人間は悪い記憶ほど頭に残ってしまう生き物なのです。
②自分の行動は正当化したい
人間は自分の行動を正当化したい生きものです。
例を挙げて説明してみます。
家電や車、家、学校や職場など、何かしらの選択をした際に「もっと良いもの(場所)があったのではないか?」と考えた経験はありませんか?
この考えに至った時、人はどのような行動をとるか?
「良い商品(環境)だから選んだ」と自分を納得させるのです。
- 使っている人がたくさんいるから良い商品に違いない。
- 生徒の学力が高いから、自分の学校はレベルが高い。
- 給料が高いからハードワークでも良い会社なんだ。
このような思考になるのです。なぜなら、過去には戻れないから。買った商品や環境を選んだ事実は、なかったことにはできないのです。
過去の自分の行動と現在の気持ちを一致させるには、現在の気持ちを変える以外に方法はありません。
そこで、「自分の行動は正しかったんだ!」と思えるような理由を探すのです。
この考え方は認知的不協和と呼ばれます。
「好きでもない男性とデートを何度もしていると、自分はこの男性が好きなのかもしれない」と感じる話もあるでしょう。
これはまさしく認知的不協和の状態と言えます。他には酸っぱい葡萄の例が有名ですね。
参考 酸っぱい葡萄TANTANの雑学と哲学の小部屋行動と悪い出来事を紐づける=バチが当たる
ここまで2つの人間心理を紹介しました。
少し長くなりましたが、バチが当たるという話に戻ります。
冒頭で説明の通り、バチとは自分が悪いことが悪い出来事として返ってくることをいいます。紹介した2つの心理を掛け合わせると、ある程度の答えが見えてきませんか?
- 人間は悪い出来事ほど印象に残る生きもの
- 人間は自分の行動を正当化したい生きもの
詰まるところ、自分の行いを正当化するために、悪い出来事と行動との間に因果関係を作っているのです。
私はこれがバチの正体だと思っています。
もちろん、神様がバチを与えている可能性もあります。
ただしバチは、それがバチであると自分が認知しないことには始まりません。バチが当たらない人と当たる人がいるという話を耳にします。それは性格の差が理由なのでしょう。
何かと物事を気にかける、繊細な人ほどバチが当たりやすいのではないかと考えています。
どうにも世知辛い世の中ですね…。
まとめ
今回はちょっとした興味本位から、バチとは何か?を真剣に考えてみました。だからと言って、自分が認知をしなければバチなど存在しないとは思ってません。
勧善懲悪という言葉があります。スピリチュアルを信じているわけではありませんが、極悪人には天罰(天誅)が下るケースもあるでしょう。
そうでもないと、到底考えられない出来事も実際に起きています。
今回紹介したバチの正体は、1つの例と考えてください。
特に「自分はちょっとしたことでよくバチに当たる…」という人は、今回紹介したマインドを持ってみてください。