芦沢央『汚れた手をそこで拭かない』を紹介します。5つの短編が収録されている小説で、表題作が入っていないという珍しい一冊です。
平穏に夏休みを終えたい小学校教諭、認知症の妻を傷つけたくない夫。元不倫相手を見返したい料理研究家…始まりは、ささやかな秘密。気付かぬうちにじわりじわりと「お金」の魔の手はやってきて、見逃したはずの小さな綻びは、彼ら自身を絡め取り、蝕んでいく。取り扱い注意!研ぎ澄まされたミステリ5篇。(「BOOKデータベース」より)
作品名になっている『汚れた手をそこで拭かない』は、作中の登場人物がしてしまったことを華麗に表現しているなと感じました…。人間が持つ弱さを人間関係の観点から描いた小説。以前に紹介した『許されようとは思いません』同様の怖さや驚きのある作品集でした。
【感想】ゾッとするラストと後味の悪い展開!どこか不気味な短編集(芦沢央『許されようとは思いません』)今回もネタバレなしで全5話のあらすじを紹介していきます。
Contents
ただ、運が悪かっただけ
末期がんで余命が短い十和子。余生を夫と一緒に自宅で過ごしていました。そんなある日、夫から「自分は過去に人を殺したことがある」と告白されます。工務店で勤務していた頃、何かにつけてケチをつけてくる客がいた。彼に売った脚立が原因で転落事故が起きてしまったというものでしたが…。
夫の話を聞く限りはタイトル通りの「ただ、運が悪かっただけの話」に聞こえる。しかし、その裏にはある思惑があったのではないかと推理する妻。伏線がうまい具合に効いていて、素晴らしい作品です。
読み終えてから改めてタイトルの意味を考えると、このように考えた方が良いのだろうなと思わされる話でした。
埋め合わせ
夏休みの宿直だった千葉は、誤ってプールの水を抜いてしまった。脳裏によぎるのは莫大な額の水道代の請求。どうにかして、この出来事を自分の過失ではないようにしようと画策しますが…。
罪を隠そうとしている主人公に寄り添ってしまうと、とてもドキドキする物語です。子供に罪を着せようとしたり、何とか騙せないかと実行しているのは、ハラハラします。(素直に言おうよとも思ってしまいますが笑)
自分の悪事がバレそうになる、同僚の推理シーンしかり最後のオチまでドキドキが止まらないお話で、ラストにはとんでもない展開が待っていました。これは…キツイ…。
忘却
高齢者が多く住むアパートで、笹井という老人が熱中症で亡くなってしまう。彼は、主人公夫婦の隣に住む男性だった。彼は電気代の滞納によって、クーラーが止まってしまったことが原因で死んでしまったという。
死因を聞いた夫はあることを思い出す。実は笹井が亡くなる数日前に主人公夫婦のもとに、笹井家の電気代督促状が届いていたのです。妻に渡すように頼んでいたのですが、彼女は物忘れがひどくなっていた。
渡しそびれたせいで死んでしまったのかもしれない。妻のために、思い出さないように夫は行動するのでした。
本作の読みどころは最後のある一言。ここに込められている意味によって解釈が別れそうだと思いました。正直少しゾッとしてしまいました。物忘れのせいで起きた悲劇。そんな物語かと思いきや、最後に本性が現れてしまいました。全5作で一番好きな話です。
お蔵入り
日の目を見ない映画監督の大崎。やっとの思いで掴んだ渾身の作品の完成直前に、主演俳優の岸野が薬物所持でマークされていることを知ります。このままではお蔵入りになる…。話し合いの最中、大崎は誤って岸野を突き落として殺してしまいます。
何としても作品を世に出す。そのために、殺人を偽装しますが、建物の従業員の証言で、別の主演俳優に容疑が向けられてしまいます。何とかして、冤罪を晴らそうとする大崎でしたが…。
人間の自分勝手さを存分に楽しめる作品。ここまで私利私欲に走ると良いことはないな…と痛感させられます。話自体は、何となくオチは読めてしまうかもしれません。
ミモザ
料理家の荒井のもとにやってきた元不倫相手の瀬部。彼は30万円を貸してほしいと言い出します。数年前は輝いて見えた彼の姿に失望しつつも、見返したい気持ちが勝った荒井はお金を貸すことにします。
しかし、これがすべての過ちの始まりでした。瀬部は、お金を貸し続けないと、「自分と不倫をしていると夫に言う」と脅し始めます。信じるわけがないと思いつつも、金額が金額なだけに踏ん切りがつかない荒井は…。
人間の汚い本性を上手に描いた物語でした。瀬部の態度にイライラしつつ、これが最後に良い味を出してくるのです。これまでの物語と同様に、最後にはゾッとするオチが待っているのですが、本作は毛色が異なっているように感じました。『汚れた手をそこで拭かない』という小説の最後の話にはピッタリの話です。