もし自分がいなかったら世界がどのように変化していたのかを知れるとしたら、あなたは知りたいですか?
そんなテーマに対して、残酷な現実を突き付けてくる小説が、米澤穂信さんの『ボトルネック』です。
亡くなった恋人を追悼するため東尋坊を訪れていたぼくは、何かに誘われるように断崖から墜落した…はずだった。ところが気がつくと見慣れた金沢の街にいる。不可解な思いで自宅へ戻ったぼくを迎えたのは、見知らぬ「姉」。もしやここでは、ぼくは「生まれなかった」人間なのか。世界のすべてと折り合えず、自分に対して臆病。そんな「若さ」の影を描き切る、青春ミステリの金字塔。(「BOOK」データベースより)
恋人・諏訪ノゾミを弔うために、東尋坊にやってきた嵯峨野リョウ。彼はそこで、何かに誘われるようにして、崖下に落ちてしまいます。しかし、目が覚めると、リョウは生まれ育った街、金沢にいました。
そこで、リョウは、嵯峨野家の長女だと名乗る、嵯峨野サキと出会います。話をしていくうちに、彼女は本当に嵯峨野家の長女で、リョウは生まれなかったことになっていると知ります。
リョウはなぜ、この自分が生まれなかった世界に飛ばされてしまったのか…?
本作は、上記の設定を活かした日常の謎がメインです。なぜ、自分の存在の有無で世界が変わっているのかを推理していくという、ミステリになっています。しかし、最後に待ち構えているのは残酷な現実でした…。
そして、本作には数多くの考察要素があります。今回は、作品のその後や、解釈について、の考察を書いてきたいと思います。
ネタバレのない、感想記事は下記でまとめています。
【感想】落ち込んでる時に読んだらダメ!自分は不要な人間?(米澤穂信『ボトルネック』)内容のネタバレを大いに含みますので、未読の方はこの先は読まないようにお願いします。(だいぶスクロールして続きます)
Contents
前提の整理
登場人物の整理
まずは重要そうな登場人物を一度整理しておきたいと思います。
嵯峨野リョウ
本作の主人公。高校一年生。二年前に亡くなった諏訪ノゾミを弔いに東尋坊を訪れた際、何かに誘われるようにして崖から落ちる。気付けば、自分が生まれなかった世界にいた。
嵯峨野サキ
リョウが飛ばされて世界で、嵯峨野家の長女(二番目の子ども)として生まれた。高校三年生。リョウが立った岐路には同じように立たされていた。
諏訪ノゾミ
リョウの恋人。二年前に東尋坊から落ちて事故死。しかし、サキの世界では生きている。さらに、リョウの世界では感情を表に出さない性格だが、サキの世界では天真爛漫。
結城フミカ
ノゾミの従妹。
嵯峨野ハジメ
嵯峨野家の長男。自意識だけは高いが能力が追い付いておらず、リョウに内心バカにされている。バイクで事故を起こし、長い入院の果てに亡くなる。間が悪い。
嵯峨野ツユ
リョウの世界では流産してしまった嵯峨野家の長女(二番目の子ども)。時期がサキの生まれ年と近いことから、おそらくサキと同一人物。
グリーンアイド・モンスター
妬みの怪物。一人でいるものを仲間にしようと誘う、死者が怪物に変化したもの。
川守
駅のホームで、リョウにグリーンアイド・モンスターの存在を教えてくれた小学生。男の子か女の子かわからない。
嵯峨野アキオ
リョウたちの父親。
嵯峨野ハナエ
リョウたちの母親。
イチョウの木の老婆
イチョウの木の地主。交通の妨げになっているので役所から伐採をさせてくれと頼まれるが断っている。亡き夫との思い出があるということが理由。
他にも、細かい登場人物はいますが、この人たちを押さえておけば、大枠は問題ないと思います。
リョウとサキの世界の違い
続いて、2つの世界の違いを整理しておきましょう。
・両親の関係
リョウの世界では崩壊している。サキの世界では関係は良好。
そのため、リョウは両親(特に母親)と仲が悪いが、サキは両親と仲が良い。
・アクセサリ店
リョウの世界では潰れているが、サキの世界ではまだ営業できている。
・辰川食堂
リョウの世界では、店主の爺さんが脳卒中で寝たきりになっており、営業できなくなっている。
サキの世界では、救急車が早く着いたおかげで後遺症が残らず、営業が続いている。
・イチョウの木
リョウの世界では、まだ道にある。
サキの世界では、伐採されている。
サキが事故を起こしたことに心を痛めた、地主の老婆が、切ることを了承した。そのおかげで、辰川食堂の爺さんは、寝たきりにならずに済んだ。
・嵯峨野ハジメ
リョウの世界では、無謀な大学受験に失敗した挙句、事故で死亡。
サキの世界では、富山の大学に通っている。自分に合った大学へ進学している。
・諏訪ノゾミ
リョウの世界では、死亡している。リョウを真似して「何でも受け入れる」性格になっている。
サキの世界では、生きている。サキを真似して「オプティミスト」になっている。
ここまでの情報をもとにして、作品の考察を進めていきます。
リョウが行った世界は何だったのか?
最初に考察するのは、リョウが飛ばされた世界(サキがいる世界)は何だったのか?ということです。これについては、パラレルワールドと考えて問題ないでしょう。
リョウが東尋坊を訪れ、サキがいる世界に飛ばされたのが土曜日。リョウはそこから3日間をその世界で過ごします。
そして、物語の最後。リョウが自分の世界に戻ってきたのは月曜日でした。過ごした時間がぴったりと一致しています。また、最後にサキ(ツユと名乗りますが)から電話も受けています。
夢を見ていた、妄想をしていたという考えもあるかもしれません。しかし、これだけの状況から考えれば、パラレルワールド(自分ではなくサキが生まれた世界)に飛ばされたと考えるのが一番しっくりくるでしょう。
リョウをパラレルワールドへ連れて行ったのは誰?
では、このリョウをパラレルワールドへ連れて行ったのは誰(何)だったのか?
物語の冒頭。リョウは「おいで、嵯峨野くん」という声に誘われるようにして、崖から落ち、気付けばパラレルワールドにいました。
作中において、リョウのことを「嵯峨野くん」と呼んでいる人物は、ノゾミしかいません。
つまり、声の主はノゾミであると考えられます。もっと言うと、ノゾミがリョウをパラレルワールドへ飛ばしたのでしょう。
ノゾミがリョウをパラレルワールドへ飛ばした理由
では、なぜノゾミはこんなことをしたのか。私の解釈はこうです。
ノゾミはグリーンアイド・モンスターになってしまった。グリーンアイド・モンスターとして、リョウを死者の仲間にしようとした。
登場人物でも紹介した、川守という子どもが、リョウにグリーンアイド・モンスターの存在を教えてくれます。作中では、以下のように書かれています。
<グリーンアイド・モンスター>
ねたみのかいぶつ。生をねたむ死者がへんじたもの。
一人でいるとあらわれ、いろいろなほうほうで生きている人間の心にどくをふきこみ、死者のなかまにしようとする。
心のどくを消すほうほうはない。(P192,193)
ノゾミは生前、イチョウの木の地主である老婆に対して、「死んじゃえ」と言っていました。自分が持っていないものを、持っている老婆を、ノゾミは妬んでいたのです。
死者になってしまったノゾミからすると、生を妬む死者には当てはまるのではないでしょうか。。そして、リョウは東尋坊に一人でいました。
これらから、考えると、ノゾミはグリーンアイド・モンスターになってしまった。そして、生に執着をしないリョウ妬んで、死者の仲間にしようとした。このように考えると辻褄があうように感じます。
つまりノゾミは、リョウを死者にするために、リョウをパラレルワールドへ連れて行った。自分がいない世界ではすべてが上手くいっているという状態を見せ、リョウを絶望させて死者にさせようとした。
これが、ノゾミの目的だったのではないかと思います。
なお、グリーンアイド・モンスターの毒は消せません。リョウがパラレルワールドで受けた毒は、一生治らないものになっているのです。
ノゾミはなぜリョウを妬んだのか?
諏訪ノゾミとはどんな人物か?
では、なぜノゾミはリョウを妬んだのでしょうか。この話を考えるにあたって、ノゾミの性格について整理してみましょう。
ノゾミは、自分が得られないものを拒絶する人間に対して、憎悪を持つようです。
この道路を広げるとき、地主の婆さんが切らせなかったらしい。(後略)(P.81)
「死んじゃえ」(P.81)
上記のように話しているシーンがあります。この真意を、後日、リョウに説明しています。
「(前略)わたしはね、『死んじゃえ』って言ったのよ。(後略)」(P.148)
「(前略)おばあさんはお金は欲しくなかったから。お金なんかよりも、思い出の方が大切だったから(後略)」(P.149)
ノゾミは、自分が得たいことを拒絶している人間を妬んでいるのでしょう。その一方で、諏訪ノゾミは、家庭環境のせいで苦しんでいました。
「ヒューマニストにもモラリストにもなりたくなかった」(P.171)
「だからノゾミは何かになろうと考えていた、んだよね」(P.171)
これに対して、リョウは以下のように答えます。
「……何でもなくなれば、いいじゃないかな」(P.119)
この結果、先ほども書いたように、ノゾミは何でも受け入れる人になってしまいました。
一方で、サキの場合。彼女は以下のように答えます。
「(前略)『じゃ、オプティミストになれば?』って言っただけ。(後略)」(p.186)
その結果、ノゾミは天真爛漫な性格になるのでした。ノゾミは、回答をした人と同じ性格を真似ていたのでした。つまり、自分で考えることはしていないのです。
ノゾミが得たかったものは何?
なぜノゾミはリョウを妬んだのか。その理由は、自分が得たかったものを拒絶したからでしょう。では、ノゾミは何を得たかったのでしょう?
ノゾミは、自分が得たいものを拒絶する人間を妬む一方で、自分がどうなりたいのかを考えてはいない。つまり、受け入れるという点ではリョウに似ています。以上から、ノゾミが得たいと思っていたのは、想像力や考えることではないと思います。
私の考えでは、ノゾミが得たかったことは、生きることもしくは母親だと思います。
前述でノゾミが家庭環境で悩んでいたのは、生きていくにはどうしたら良いか?を考えた結果です。つまり、ノゾミは生きることには積極的なのです。しかし、リョウは違います。何となく生きている、面倒だから受け入れてしまっているのがリョウなのです。
また、ノゾミは、母親と会うことができません。家庭環境のせいで出て行ってしまったからです。しかし、リョウは違います。母親がいるにもかかわらず、自分からコミュニケーションをとっていません。
以上のことから、ノゾミはリョウを妬んだのではないかと思います。
リョウが最後に選んだ選択肢はどっち?
最後に、話の結末を考えていきます。
すべてを知ったリョウは、生きるか死ぬかの二択を迫られることになります。それもどちらを選んでも苦しいものです。
真っ暗な海と、曲がりくねった道。それは失望のままに終わらせるか、絶望しながら続けるかの二者択一。(P.297)
リョウは、これまですべてを受け入れて生きてきました。パラレルワールドという夢の剣のせいで、リョウは受け入れることさえできなくなってしまいました。この失望した状態で死ぬが前者です。
仮に受け入れて生きたとします。しかし、それは、自分というボトルネックがいなければ、すべてが上手くいっていたという、絶望を抱えたまま生きていくことを意味します。
はたして、リョウはどちらを選択したのでしょうか。この選択については、どちらの解釈もできるようになっていると思います。
そのためには、2つの視点で考察をする必要があります。
サキが電話で言った「キミはもう、わたしたちの……」の続き
物語の終盤。
「もう、生きたくない」(p.290)
リョウのこのセリフを受けて、ノゾミはリョウをもとの世界へ戻します。
(やっとそう言ってくれたね、嵯峨野くん)(P.291)
僕には想像ができない。もう受け入れることもできないリョウは、死のうと考えているのでした。そんなリョウのもとへ、サキから電話がかかってきます。
その時のサキのセリフがこちら。
『違う。サキじゃない。わたしはツユ……。想像して。昨日できなかったことも、今日はわからない。それすら違うというなら、キミはもう、わたしたちの……』(p.295)
サキのセリフの続き。「キミはもう、わたしたちの」何なのでしょうか?
この続きは、わたしたちの仲間ではないでしょうか。わたしたちの仲間=死者ということです。だから、サキは「わたしはツユ」と言ったのです。
「昨日できなかったことも、今日はわからない」は、生きていればどうにでもなるということを想像させたかったのだと思います。しかし、その想像すらできないなら、もう死者も同然だと言っているのでしょう。
しかし、仲間だとする場合、サキの世界は実在しない。パラレルワールドは、ノゾミのせいで作られたニセモノということになります。もちろん、サキの世界が存在しないこともあり得ます。
しかし、パラレルワールドは実在するとも考えられます。その場合、想像力のあるサキは、「わたしはツユ」ということで、リョウが希望を持つかもしれないと考えて発言しているのだと思います。
最後のメールは誰から?
続いて、考えたいのは最後のメールの差出人について。
『リョウへ。恥をかかせるだけなら、二度と帰ってこなくて構いません』(P.297)
大方の見方とすれば、母親からでしょう。兄の葬式に参列しなかったリョウへの当てつけのメール。おそらく母親からと考えるのが、もっともしっくりくる気がします。
しかし、作中では誰もリョウのことをリョウと呼んでいないのです。母親ですら「あんた」((P.6)より)と呼んでいます。つまり「リョウへ」という宛名だけでは、差出人はわかりません。
サキが、二度とパラレルワールドへ帰ってくるなという意味でメールを送っている可能性もあると思います。また、パラレルワールドでのリョウの行動が、サキの恥になっていたとも考えられます。サキが差出人の場合は、ジョークを含んでいるでしょう。サキが送っている可能性もゼロではないでしょう。
宛名から考えるのであれば、大穴として、兄のハジメという可能性もあります。ハジメはサキのことをサキと呼んでいる描写があります。
「サキのことなんだがな」(P.266)
つまり、ハジメは妹や弟を下の名前で呼んでいる。もしかすると、ハジメは死んでおらず、リョウにメールをしたという可能性もなくはないかもと思っています。(ほぼないが)
私の中での考えとしては、リョウの母が送っている。サキが送っている。この二択です。
物語の結末を考察
いよいよ最後の話です。結末を考えてみます。
自分で決められる気がしなかった。誰かに決めて欲しかった。(P.297)
もう生きたくないと言っていたことから、当初、リョウは死ぬつもりだったはずです。しかし、サキからの電話を受けて気持ちが揺らいだのでしょう。
つまり、誰かに生死を決めて欲しいと思うようになりました。そして、先ほどのメールが届きます。
『リョウへ。恥をかかせるだけなら、二度と帰ってこなくて構いません』(P.297)
リョウはこのメール文面を見て、笑っています。このメールを受け取った時に、リョウは決断をしたのでしょう。
最初にお伝えした通り、私はどちらの選択肢もあり得ると思っています。ここでは、決断に至ったリョウの真意を考えてみます。
失望のままに終わらせる(自殺する)場合
この場合、メールの差出人は母(ハナエ)でしょう。サキからの電話で、生きていれば未来は明るいものに変えられるかもしれないと、思ったリョウ。
しかし、母からのメールを見て、母との関係はもう修復不可能なのだと感じてしまった。これが、リョウが自殺する場合の考察です。また、この場合、リョウは最後まで生きることに積極的になっていませんでした。
以上のことから、リョウが自殺するバッドエンドもあり得るでしょう。
絶望しながら続ける(生きていく)場合
次に、リョウが生きることを選んだ場合、メールの差出人は、母でもサキでもあり得ると思います。
まず母からのメールだった場合。サキとの電話の最後に、リョウはサキから「イチョウを思い出して」と言われています。
ここで母からメールが届く。ノゾミが得られなかったものが、母であると気づいたために笑ったとも考えられます。この場合、リョウは自殺をしないと思います。
弔う相手(ノゾミ)が欲していたものを、自分はまだ得られる。そのことに気付いて、リョウは絶望しながら生きるというバッドエンドを選んだとも考えられるでしょう。
また、サキからのメールだった場合。意味はパラレルワールドに二度と来るなということになります。物語の序盤、そもそも、リョウは東尋坊から落ちて、パラレルワールドにやって来ています。
つまり、東尋坊から落ちることで、またパラレルワールドに来るんじゃないぞという意味のメールをサキが送っているとも考えられます。想像力のある、サキならではの止め方かなと思いますが、十分にあり得るかなと感じました。
まとめ
長くなってしまいましたが、以上で考察は終了です。どちらにせよバッドエンドの物語には変わりないでしょうが、読後に受ける意味は変わってきます。
様々な読み方があるのが、『ボトルネック』の良いところでもあります。
あなたは、どのようなオチだと考えていますか?