内輪(身内)ネタで盛り上がっている人を見るとイライラしてしまう。
このような経験をしたことはありませんか?
実際にGoogleの検索欄を見てみると、嫌だなと思っている人が多いことがわかります。
不快な思いをした人は結構多そうですね。確かに、他人の内輪ネタほど見せられてつまらないものはないでしょう。
しかし、逆もしかり。先の画像を見てみると面白いと感じている人もいる様子。
それもそのはず。人生において内輪ネタ以上に面白いコンテンツはないからです。
人はどうして他者の内輪ネタを不快に思うのか?
一方で、自分の内輪ネタはとても面白いと感じるのか?
今回はこれらの理由を考えてみます。
笑いのメカニズムは緊張と緩和
本題に入る前に、そもそも、人は何を面白いと感じるのでしょうか?
わかりやすい例として、笑いが起こるメカニズムを考えてみます。笑いが起こる際には緊張と緩和が発生しています。
年末の恒例番組。ガキ使の「笑ってはいけない〇〇」が良い例ですね。
これは、笑ってはいけないという環境下(緊張)で起こるおかしなこと(緩和)によって笑いが発生しているのです。
緩和を形容する表現として、おかしなことと表記しました。これは推理の裏切りと考えるとわかりやすいでしょう。出来事や事象には何かしらの前提が存在します。
イケメンはモテるし、スポーツができるし、大体幸せな人生を送るでしょう。(偏見)
この事象の場合、「イケメン」は前提、「モテる・スポーツができる・幸せな人生」は推理となります。
推理の裏切りとは、推理していなかったことが当てはまったことを言います。つまり、イケメンがモテないは面白いのです。(※これは蔑みの笑いです)
わかりやすい例が「いないいないばあ」。どうして赤ちゃんは笑うのか?
いない(いない)
↓
いない(いない)
↓
ばあ(いる)
このように「いない」という推理が裏切られることで、赤ちゃんは面白いと感じ、笑うのです。
そのため、「いる」が前提の大人は全く面白いと感じません。
例えツッコミが面白い理由
笑いのメカニズムについてもう1つ。例えツッコミについて紹介させてください。くりぃむしちゅーの上田さんや、フットボールアワーの後藤さんがよく用いていますね。
これは、場面に対してありのままツッコむのではなく、予想を上回るツッコみ(推理の裏切り)をするので面白いと感じるのです。
例1
・場面:行動が遅かったことに対して
・一般的なツッコミ:「遅いよ!」
・例えツッコミ:「11月に冷やし中華を始めたくらい遅いよ!」
例2
・場面:2つのものごとの差がありすぎた様に対して
・一般的なツッコミ:「全然違うじゃん!」
・例えツッコミ:「高低差ありすぎて耳キーンってなるわ!」
「一般的なツッコミが来るであろう」という推理が裏切られるので、面白いと感じるのです。
内輪ネタは面白いに決まっている
では本題に入ります。なぜ身内ネタは面白いのか?
先ほど例に出した例えツッコミ。
これも広い意味では内輪ネタの1つです。なぜか?
例えたものが何かわからなければ面白くないからです。
- 冷やし中華は通年商品ではなく、夏場に提供が始まるもの
- 高低差があると耳がキーンとする
こうした知識がないとツッコミの意味がわかりません。いくら推理の裏切りが起きても、知識がないことは面白くないからです。
お互いの知識がある程度一致しているため、推理の裏切りを理解しやすいのです。
また、内輪ネタというからには、何かしら組織やチームが同じはず。先の例とは異なり、知識量もかなりあるのです。
話題が付きにくい上にわかりやすいため、ついつい内輪ネタをしてしまうのです。
疎外感を覚えるからつまらない
ここまで来たら、内輪ネタがつまらない、不快に感じる理由もおわかりいただけたと思います。
- 知識がないので面白さがわからない
- 除け者にされているという疎外感
この2つが大きな要因です。1つ目は先程から説明をしている通り。
推理の裏切りが理解できないものは、どう頑張っても面白くないのです。
2つ目は心理的な要因。人間は自身が蔑ろにされることを嫌います。自分が仲間内に入れない話題で、面白おかしくしている様子は、不快以外の何物でもありません。
こうした理由から、内輪ネタはつまらないと感じるのです。
まとめ
先の例でも紹介した通り、世の中で面白いことはすべて内輪ネタです。推理の裏切りは、知識あって成り立つので、知らない人からしたら面白くありません。
極端すぎるかもしれませんが、ある程度の諦めは心も必要なのかもしれませんね。ただし、内輪ネタしかできない人は、ニッチな笑いしかできないということなので、気を付けましょう。